久米宏さん死去|ニュースステーションを支えた妻・久米麗子さんという存在

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久米宏さんの訃報に寄せて

2026年1月、久米宏さんの訃報に接し、胸の奥が静かにざわつきました。
私にとって久米宏さんは、「ニュースキャスター」という言葉だけでは括れない存在です。

子どものころ、黒柳徹子さんと司会を務めていた『ザ・ベストテン』は、毎週欠かさずに観ないと、次の日は学校で話題に入れないくらい。
ピンクレディーの振り付けを、掃除時間をサボって友達と踊っていました。

『ぴったしカン・カン』も同じです。
久米さんが出演者をいじっても、どこか愛があって、常に笑って見られる大好きな番組でした。

そして大人になってから出会ったのが、『ニュースステーション』です。
その日の出来事を、あのテンポの良い語り口で、噛み砕くように伝えてくれる。
何かをしながら聞いていても、ふと耳に入った声が久米宏さんだと気づくと、思わず手を止めて聞いてしまう――いつの間にか、そんな「信頼できる声」になっていました。

このお正月元旦、ニュースキャスターとして時代を築いた久米宏さんが81歳でこの世を去りました。
訃報は亡くなってすぐではなく、少し時間をおいて伝えられました。

年始の慌ただしさの中で周囲を驚かせることなく、静かに別れの時間を持ちたい――
そんなご家族、とりわけ妻・麗子さんの心遣いが感じられる伝え方だったように思います。

その後、「ニュースステーション」「ザ・ベストテン」といった番組名とともに、多くの人がそれぞれの“久米宏像”を思い出したのではないでしょうか。

久米宏さんプロフィール

生年月日・出身地・学歴

久米宏さんは1944年7月14日、埼玉県浦和市生まれ。
早稲田大学政治経済学部を卒業後、1967年にTBSへアナウンサーとして入社します。

病弱だった若き日とアナウンサーへの道

入社当初はあがり症で体も弱く、結核を患い、順調なスタートとは言えませんでした。
それでもラジオやバラエティを通して、唯一無二の話術と存在感を磨いていきます。

『ザ・ベストテン』『ぴったしカン・カン』という黄金時代

黒柳徹子さんとの名コンビ

『ザ・ベストテン』での黒柳徹子さんとの掛け合いは、早口でテンポが良く、それでいてどこか品がありました。
音楽番組でありながら、司会者自身が“見どころ”だった時代を象徴しています。

家庭のテレビ時間を作った存在

『ぴったしカン・カン』を代表として、久米宏さんの番組は、家族みんなで安心して見ることができる存在でした。
子どもから大人まで、誰かを不快にさせることなく、明るく快活なトークで場を和ませる。
今振り返ると、世代を超えて同じ番組を楽しめた、あの時間はとても貴重だったように思います。

ニュースステーションが教えてくれた「ニュースの見方」

わかりやすさとスピード感

『ニュースステーション』は、それまでの報道番組とはまったく違いました。
難しい話題でも、視聴者の目線に立ち、今何が起きているのかを整理してくれる番組でした。

テンポの良い話し方と信頼感

久米さんの話し方は早口でありながら、決して置いていかれない不思議なリズムがありました。
「今日の出来事を知るなら、この番組を見ればいい」
そう思わせてくれるキャスターでした。

晩年の姿に感じたダンディズム

年齢を重ね、白髪が増えてからも、久米宏さんの佇まいはとても印象的でした。

ニュース番組では端正なスーツ姿が定番でしたが、『ニュースステーション』を離れた後、ときおり目にする私服姿には、また違った魅力がありました。

ジャケットの着こなしや、襟元からのぞくインナー、小物使いに至るまで、どこか肩の力が抜けていながら、抜群にセンスがいい。
画面越しにも伝わってくるその装いからは、久米さん自身のプライベートな空気と、大人の余裕が感じられました。

年を重ねることそのものを、自然に、そして美しく引き受けている――そんな印象が、今も記憶に残っています。

妻・久米麗子さんの存在

18年半、画面の中の久米宏さんを形づくった人

久米宏さんの洗練された佇まいを語るうえで欠かせないのが、妻・久米麗子さんの存在です。
麗子さんは1970年代後半からスタイリストとして活動し、テレビ番組のパーソナリティの衣装スタイリングを手がける会社「Kパック」を主宰していました。

特に『ニュースステーション』では、18年半にわたり久米さんの衣装を一手に担当。
番組のプロフィール紹介などでも、「衣装は妻であるスタイリスト・麗子さんが担当していた」と明記されています。

麗子さんのスタイリストとしての仕事については、久米宏さん以外には他の方の名が語られているわけではありません。
公に確認できる代表的な仕事として知られているのは、やはり『ニュースステーション』で18年半にわたり久米宏さんの衣装を支え続けたことです。

それは、単に「仕事の一つ」というより、ひとりのキャスターの在り方そのものを、長い時間をかけて形づくっていった仕事だったのかもしれません。

「Kパック」設立前のキャリアとファッションの現場経験

麗子さんは兵庫県生まれ。共立女子大学を卒業後、マミフラワーデザインスクールで学び、後に講師も務めています。

若い頃にはアパレルショップの販売員として現場に立ち、モデルとして「着る側」の経験も重ねてきました。

1970年前後、日本のファッション界は大きな転換期を迎えていました。
三宅一生、高田賢三、森英恵といった日本人デザイナーが国内外で注目され始め、やがて川久保玲や山本耀司らが登場。
原宿や青山には、若い感性のブティックが次々と生まれ、「東京ファッション」という言葉が現実のものになっていきます。

そんな時代の空気の中で、売り場に立ち、服に触れ、人の体や個性を見つめてきた経験が、麗子さんのスタイリングの土台になっていったのでしょう。

画面に映る久米宏さんの佇まいから伝わってきたのは、流行に流されない、確かな審美眼。
ふたりは、互いの感覚を信頼し合いながら、長い時間をかけて「久米宏という姿」を磨き続けてきた、センスの良いご夫婦だったのだと思います。


子どもはいなかったという事実について

娘がいるという噂と真実

一部では「娘がいるのでは」という声もありますが、久米宏さんと麗子さんの間にお子さんはいません。

これは健康上の理由によるもので、そのことは久米宏さんとの共著『ミステリアスな結婚』の中でも触れられています。

画面の外から支えた“もう一人の表現者”

久米宏さんが年齢を重ね、白髪が増えてもなおダンディであり続けた理由の一つは、
衣装を通して「久米宏という人物像」を作り続けた麗子さんの存在だったのかもしれません。

前に出ることなく、しかし確かに、
時代を映す画面の外から番組を支え続けた――
そんな印象が強く残ります。

事件や事故に、真摯に向き合い続けたキャスターだった

数字では伝わらない「命の重さ」をどう伝えるか

『ニュースステーション』が大きな反響を呼んだ放送のひとつに、「日航ジャンボ機墜落事故」を扱った回があります。
犠牲者は520人――その数字の大きさを、私たちは知識としては理解できても、実感として受け止めることは容易ではありません。

久米宏さんが考えたのは、亡くなった人々の年齢や性別、職業を想定し、履き慣らされた中古の靴を520足、座席表に沿って並べるという企画でした。

広いスタジオに並ぶ靴の数を前に、久米さん自身も「目眩がした」と語っています。

それは、数字ではなく、
「そこに確かに生きていた人がいた」
という事実を、視覚で突きつける表現でした。


批判や脅迫を受けても、番組を降りなかった理由

この放送を見て、「思わず泣いてしまった」という声が多く寄せられた一方で、強い批判や反発も巻き起こりました。
久米さんは、殺害予告を受けたり、自宅前に動物の死体を置かれるといった、常軌を逸した嫌がらせにさらされたこともあったと伝えられています。

それでも、久米宏さんは番組を降りることなく、『ニュースステーション』を18年半にわたって続けました。
怖さがなかったはずはありません。
それでも向き合い続けたところに、キャスターとしての覚悟があったのだと思います。


「成功させたのは、僕じゃない」

印象的なのは、あの靴の企画について、久米さん自身が
「僕はアイデアを出しただけで、中古の靴を探し、並べたのはスタッフです。成功させたのはスタッフの力ですよ」
と語っていることです。

自分の手柄として語らず、現場の努力として受け止める。
その姿勢からは、番組づくりを一人の功績にしない、久米宏さんの誠実さがにじみ出ています。


ラジオで培った「伝える感覚」

久米さんは、こうした表現が生まれた背景として、長年ラジオに携わってきた経験を挙げています。
ラジオは、見えないものを言葉だけで伝えなければならない世界。
「何をするか」以上に、「何をしないか」を考える癖が身についたと語っています。

その感覚が、テレビという視覚のメディアでも、生きていたのでしょう。


強さではなく、「向き合う覚悟」

事件や事故を扱うたびに、久米宏さんは賛否の渦中に立ちました。
それでも、逃げず、煽らず、軽くもしない。
どうすれば正しく、人として伝えられるのか――
その問いを、番組が終わる日まで投げかけ続けていたように思います。

久米宏さんという人を振り返って

久米宏さんは、完璧な人ではありませんでした。
批判も受け、議論も巻き起こしました。

それでも、
「伝えること」
「権力から距離を取ること」
「視聴者に向き合うこと」

これらを一貫して貫いた人だったと思います。


まとめ|時代と共に生きた声

久米宏さんの声、話し方、佇まいは、
今もニュースや音楽とともに、私たちの記憶の中で生き続けています。

あの時代を知る一人として、

心から、ありがとうございました。

nao
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スポーツ全般を、観る側・親目線で発信しています。
野球や陸上の経験者ではありませんが、少年野球に関わった経験をきっかけに、
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